長崎郊外の老舗ファミレス「松新」のビーフ料理たち -取材vol.05-

ビーフ料理牛めし長崎53年

昭和35年、夫婦二人で創業した「キッチンビーバー」。この界隈で働く多くのサラリーマンの胃袋を支えてきた。

しかし店主が体調を崩してしまい、妻のカヅ子さんが一人で切り盛りしていたが、カヅ子さんも腰が悪くなり、突然お店を閉めることに。

そこで「キッチンビーバー」のレシピと想いを継承し、多くに人に愛されたメンチカツがまぼろし商店にて復活。

思い出がたくさん詰まった、あのレストランが閉店するー

2021年、とあるニュースで長崎に衝撃が走りました。テレビ・ラジオ・新聞・タウン誌・ネットニュースなど各メディアに取り上げられ、閉店までの約1ヶ月間、毎日行列ができるほどのお客さんが押し寄せました。いつまでも食べられると思っていたあの味、そしてみんなで過ごしたあの場所。お店の長い歴史の中で、関わる人々や思い出が数えきれないほどに増えていたのです。

さまざまな事情でやむなく閉店してしまった、人気店のレシピを継承する「まぼろし商店」。第2回 目に紹介するのは、長崎市諫早市で長年愛されてきた「びーふ天国 松新」です。2021年7月31日をもって、創業53年の歴史に区切りをつけることになりました。

地元のあるファミリーレストランが閉店するということが、なぜそこまで話題に? 多くのファンを惹きつけていたその理由と、これから歩んでいく松新の“物語の続き”をインタビューしました。

とある地元ファミレスがここまで愛される理由

昭和43年に創業した松新は、創業者から含めると親子四代に渡って受け継がれてきました。初めは旅館・ドライブイン形式でしたが、道路拡張のために建物が立ち退きに。その際に、レストランとしての松新に生まれ変わります。

4代目社長・山田国子さん、料理長・松井進さん、国子さんの娘・山田ゆりさん。3代目社長であり、国子さんの夫である故・山田圭一さんの意思を受け継ぎ、お店を切り盛りしてきました。

長崎の人にはお馴染み、CMで流れる「びーふ天国まーつーしーん♪」は、一度聞いたら忘れないワンフレーズ。そんなユニークなお店づくり、種類豊富なメニュー、ゆったりと過ごせる丁寧な接客が、たくさんのファンを生み出していました。

ゆりさん:
うちは、家族の誕生日とか部活の打ち上げで使ってもらうことが多かったんですよね。30人くらい入るような個室もあったので、そこを貸切で使ってもらったり。

確かに周りに選択肢は多かったけど、それがうちの強みだったので、すぐ隣にチェーン店ができ ちゃっても大丈夫でした(笑)

松井さん:
近所にはここしかなかったもんね。子どもの時は『誕生日のお祝いといえば松新だった』というお客さんが、今度は自分が親になってまた来てくれていましたね。

松新は、地域の人たちの人生において、大事な思い出の時間を過ごす場所でした。そして何よりも、熟練のシェフが守り抜いてきた手作りの味が根強い人気の理由。

国子さん:
うちはソースからハンバーグの挽肉まで、ほぼ全て手作りだったからもう大変で……!仕込みに何時間もかけていました。

松井さん:
ある時期は、ハンバーグに入れるパン粉にもこだわっていましたね。機械を一つ導入すれば、工程が2〜3個は増えちゃって(笑)

松井さん:
シェフも私を含めて2人しかいないのに、そんな状態で何十年もやってきました。段々と業者に頼むことも増えはしましたが、配合や味は妥協しませんでしたね。

お店づくりから、自慢の料理まで。地元で愛されてきた理由に納得です。

苦渋の決断。そして、大きなムーブメントへ

長く続いてきたお店も、時間が経てばそれだけ老朽化が進みます。

松井さん:
機械が壊れたり、建物が限界きたりで、コロナ禍でとてもじゃないけど修繕費が払えるような状況じゃなくて。修理してその場しのぎでなんとかやってきたけど、いつかは……って、覚悟はしていました。

建物の老朽化、スタッフの高齢化に、後継者不足。そしてコロナ禍に入ったことで、決断の時がやって来ました。別のオーナーに場所を貸す? または場所を変えて再開する? さまざまな選択肢があったけれど、お店は閉めることに決めました。

松井さん:
もうこんなご時世だからお客さんもなかなか来れないだろうし、人知れず静かに終わっていくんだろうなと思っていたんです。ところが……

閉店まであと約1ヶ月のところで、お店のドアに張り紙をしていました。すると、それがお客さんによってSNSで拡散。たちまち噂は広がり、お店は連日の大賑わい!

国子さん:
びっくりしました!え、うちってこんなにお客さんいたの?って(笑)

閉店までは休みなしで営業しようと思っていたんですけど、オープン前から行列できてるし、ひっきりなしに問い合わせの電話が来るしで、もう必死でしたね(笑)

最後のほうは多分、笑顔も引きつってたと思います(笑)

これほどまでに反響があるとは全く予想してなかったという皆さん。仕込みが間に合わず、途中から定休日を設けて乗り切ったそうです。大きな展開に驚きつつも、精一杯お客さんの想いに応えて、松新は創業53年の歴史に幕を下ろしました。

私も救われた、名物の味の復活を目指して

レストランは閉店し、松新の物語は一つの区切りを迎えました。しかし、完全に終止符を打ったわけではありません。

創業当時からの看板メニューである「牛めし」。こちらは、レトルトの冷凍パック「牛めし天国」として自宅用でも楽しむことができ、贈り物としても重宝されてきました。商品を開発したのは、3代目・圭一さん。

閉店後も、継続して松新の牛めしの味を家庭に届けたい。そんな想いでゆりさんを筆頭に活動を続けます。

ゆりさん:
私が東京で過ごしていた時期に、よくおばあちゃんが『牛めし天国』を送ってくれたことがあって。結構それで助かっていたし、体調が悪い時などにも支えられていました。レストランが無くなって、この味まで二度と食べられなくなってしまうのは悲しいなと思って。

家庭で食事を楽しむ時間が増えた今だからこそ、チャンスなのでは。地域の人たちはもちろんのこと、かつての私のように、県外にいる松新ファンにも牛めしを味わってもらえるのでは。

閉店前に駆けつけたお客さんからも、せめて牛めしだけは残して欲しい。そんな熱烈な言葉を掛けられることもあったのだとか。

松井さん:
お店を閉めるにあたって、もう引退を覚悟してたんです。だから、もうこれで最後って決めたのに、そんなに焚きつけられてもなぁって(笑)

ゆりさん:
ほとんど私が巻き込んでいる形ですね(笑)

忙しかった日々を経てひと段落ついたかと思いきや、各方面からの熱い想いを受け取ってしまった松新の皆さん。松新の物語は、新しい章に突入しようとしています。そして、そんな時に、「まぼろし商店」でレシピを継承させていただくことになりました。

受け継いだ松新自慢のビーフ料理をおひろめ

今日は、長崎市茂木町にある「波まち食堂mog」にて、常連さんを招いての復活メニューの試食会。松井さんから直々にレシピを教えてもらい、再現した料理の味を確かめてもらいます。

松井さん:
久しぶりに厨房に立って作ったけど、ああ、こんな感じだったなぁって思い出した。やっぱり 美味しいよ、うちのは。

松井さんの表情には、懐かしさと自信が両方現れていました。

今回教えてもらったのは、5種類のメニュー。長崎のソウルフード・トルコライスを松新風にアレンジした「トルコ牛めし」「トルコカレー」や、「ハンバーグ」の5種の中からデミソース・オニオンソース・トマトチーズ、そして「レモンステーキ「牛テールラーメン」など、バラエティ豊かなラインナップになりました。

※キャプション ボリューム満点な松新の人気メニュー「トルコ牛めし」。ピラフの代わりに牛めしを使った大満足な一皿。

※キャプション ヤミツキになる松新の「レモンステーキ」。絶妙な焼き加減でミディアムに焼き上げ、一般的なレモンステーキよりも肉厚で柔らかい。


料理が一通り出来上がり、常連さんが集まってきたところで、いよいよ試食会が始まります。かつての懐かしい味を楽しむ皆さんの様子を、写真でどうぞ。



昔話で盛り上がりつつ、それぞれの絶品料理に手が伸びます。久しぶりに松新の味の元に集まった面々で、これからの物語へと向かう、特別なひと時を過ごしました。

松新にはたくさんのファンがいましたが、それはお客さんだけではありません。50年以上の歴史の中で、アルバイトとして働いてきた人も数百人を優に超えます。

3代目・圭一さんも、従業員から慕われる性格でした。まるで同窓会ができてしまうかのように、青春時代のアルバイトを松新で過ごした人がたくさんいたのです。この日は、かつてそんな日々を共に過ごした仲間たちが集ったのでした。

本人たちでさえも気付かないうちに、たくさんの人たちと寄り添いあってきた松新。それらの思い出に連鎖するように、巻き起こる今後の展開は誰にも想像できません。

長く愛され続けた「牛めし」が家庭で楽しめるように。そして、松新のメニュー各種がいただけるように。まだまだこのファミリーレストランの物語は続いていきます。

松新 CM テーマソング

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